I WERE YOU" class="date"> 03/23 2019

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I WERE YOU

2017年の夏、十文字さんから「ちょっとね、ちょっと見てほしいものがあるのだけど」と電話があり、彼の鎌倉のギャラリーに行った。
電話の声がうれしそうだったので、悪い話ではないらしいことは予想していたが、簡単な話のはずがないことも、彼との40年余のつきあいからわかっていた。
十文字美信というひとは簡単な人ではない。同じころ、もうひとりの簡単ではない加納節雄さんから「ちょっと鎌倉に行って、あるものを見てきてほしい」と連略がきていた。
こちらも声の調子が、どこかうれしそうだったが、ふたりの簡単ではない人がうれしそうに言うことは、むずかしい話であるらしいことを覚悟して、わたしは鎌倉に出向いたのだった。
と、本題になかなか入らないのは、いまここで書くべきことをどう書いていいのか、わからないからです。
でも、とりあえず、おふたりの紹介は済みました。ギャラリーとなりの「CAFÉ bee」でコーヒーをいただいていると、庭のほうから十文字さんがうれしそうな顔であらわれ、
挨拶もそこそこに、案の定むずかしい話をしだした。「ぼくの写頁と江戸絵画を組合せたら、どうなるか、やってみたのだけど見る?」口調は「見る?」だが、目は「見ろ」と言っていた。
やはり簡単な話ではなかったのだ。ギャラリーの大机のうえに十文字美信と加納コレクションの曾我蕭白(江戸絵画の異端絵師)を組合せた、試作三点がひろげられていた。
写真と絵画の出会いがしらの衝突、あるいは作品、あるいは合体物。二百数十年隔たったふたつの作品、しかも写真と絵画、ふたつの異なるジャンルを同居させた試みである。だから、まだ評価はない。美術として、写真として、解釈し評価を付すことはできるだろうが、「なに?これ」のまま、判断停止のまま、心に、頭に、目に、とどめておきたいとわたしは思った。
解釈し、カテゴライズせぬまま、評価定まらぬまま、不可思議で、末知の力を孕んだ合体物のまま。
ひとつの作品のなかに、ふたつの作品がおさまり、それぞれ本来の力と偏向と価値を保ったまま、まったく新しい世界が立ち現れている。
二百数十年の時間差を越えて、ふたつの最先端が拮抗し、現代の最先端を提示している。
作品の美術的、写真的評価、奥行きの解釈はあとまわしに、まずは表面に現れた、目に見える世界と対峙したい。
「これにね、題というか、言葉をつけてほしい」と十文字さんは言って、「言葉をそえると、意味という垢がついてしまうけれど」わたしはそう答えたことを覚えている。
「CAFÉ bee」の庭の石の上で眠る茶トラ猫を眺めながら、オーナーズブレンドを飲みながら、たがいの顔の皺と染みを目にしながら、2017年の夏、そんなやりとりをしたのを覚えている。
蛇足を承知で書けば、今回展示の「曾我蕭白・鷹兎図」と「十文字美信・残闕」の組み合わせには「言い忘れたこと」という言葉を試しにつけた。
しかし、いま、完成した世界を見れば、言葉の入りこむ余地はない。
上記作品に加え、「曾我蕭白・一休図」と「十文字美信・白仏」。「曾我蕭白・養蚕図」と「十文字美信・滝」の二作が完成し展示されるが、これで終わりではなく、この先も最先端の世界は、新しい試みとして展開されるようだから、楽しみは尽きない

川崎 徹


「18世紀京都画壇で活躍した円山応挙、曾我蕭白、19世紀末に江戸で活躍した河鍋暁斎、
これら異端の画家と20世紀末から21世紀の混沌とした精神風土から生まれ、自由でどこか不気味な十文字美信の写真を合わせ鏡のように組み合わせる。」
このような奇想天外な試みをしたいのだが、と江戸美術コレクターの加納節雄さんから連絡があった。今から4年前の2015年のことだった。
想像したこともないアイディアだったので、しばらく躊躇していたが、ご自分がコレクションされた絵と私の写真を組み合わせた画像が次から次と送られて来るようになった。
そしてこの度、画像ではなく、実物の江戸絵画(曾我蕭白作品)と私のオリジナルプリントをーつに額装した件品が実現した。
この試みがどのような新しい表現世界を生み出しているのか自分でもわからない。
毎日眺めているうちに絵と写真というジャンルが違っても、視覚をとおして表現したものは、
経験と学習と記憶を繰り返し重ねることで日本美術の伝統ともいえる形なきものを強く意識しているのではないか、と思うようになった。
互いに響き合うものがあれば、伝統は時代を越えて繋がっていく。私と曾我蕭白の間には200年以上の時間差がある。
もし、200年後の世界に、誰か私の作品の隣に想像もつかないメディアを使って新しい作品を並ぺたとしたら、これほどワクワクすることはない、と思ったのだ。
今回の展示は曾我蕭白 鷹兎図、一休図、養蚕図。十文字美信 残闕、白仏、滝を組み合わせた。

十文字美信/加納節雄


2019/4/21日〜5/26日まで(前夜祭4/20日)、鎌倉BISHIN JUMONJI GALLERYにて最新作「I were you 私はあなた」を発表します。この作品は、江戸美術コレクターの加納節雄氏と4年間かけて作り上げました。第1回目の展示は十文字美信の写真と曾我蕭白の絵を3点組み上げました。今まで誰も試みたことがない作品です。ぜひご高覧ください。尚、内覧会となりますので、観覧希望者は以下のコンタクトフォームからお申し込みください。
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05/23 2018

「修羅」失われた記憶 展、本日から開催

「修羅」失われた記憶

写真展「修羅」失われた記憶、本日から開催です。

11:30〜18:00(火曜休廊)

皆様のご来廊をお待ちしております。

次回展示:「修羅」失われた記憶


04/15 2018

次回展示:「修羅」失われた記憶

藤崎

タイトル :「修羅」失われた記憶

会期 : 2018/5/23 (水)〜6/25 (月)

今年に入ってから京都、佐賀、熊本、再び佐賀、福岡、兵庫、姫路、酒田、山形と移動して、さらに兵庫、京都、大阪、5月は北海道の羅臼へ行く予定です。具体的に何を撮る、という目的もなく、気が向いたらその場所へ行ってみる、そんな旅です。
気が向いたら、と書きましたが、何に対して気が向くのかと言いますと、なんでしょうか、自分でも何故その場所へ行きたくなるのかはっきりした理由はわかりません。何処へ行ったところで、明確な被写体が私を待っているわけではないのです。
昨年からなんとなく思うことがあり、その、なんとなくを確かめている気がします。

昨年の7月に旧友の藤崎を亡くしました。
お互い10代の頃に知り合い、しばらくの間は毎日、密に会っていました。私にとってどんな友人だったか、詳細は写真集『感性のバケモノになりたい』の「藤崎」に書いたので繰り返しませんが、彼を亡くしたことで、記憶について考える機会が多くなったのです。
彼を亡くした当初は、哀しみと懐かしさの混ざった言葉にしにくい感情が浮かんでは漂い、そのうちに消えていくを繰り返していました。
しばらくすると記憶の出どころや内側を覗いてみたくなりました。10代の頃に何をやったか、の行動を思い出すよりも、当時のワクワクした興奮そのものを蘇らせてみたい、と思ったのです。
古希を過ぎた私が、10代の頃の記憶を手繰り寄せたところで、手応えになるものは何も残っていないのでしょう。記憶を追っているうちに、藤崎をきっかけにして新しい記憶を産み出していることに気がつきました。亡くなった藤崎を心に抱きながら、生まれ出た新たな記憶の地平を歩いてみたくなったのです。出来ることなら言葉ではなく、写真映像で生まれた記憶に近づき、離れ、走り、共に倒れてみたいと思ったのがこの作品を撮り始めたきっかけです。

ぜひご覧いただきたいと思います。

十文字美信


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