阿弥陀堂の内部に坐っている自分を繰り返しイメージする。眼を閉じて、心の中に阿弥陀仏の姿を思い浮かべる。目蓋の裏側に徐々に仏が姿を現す。頭の先から螺髪、額の白毫、瞼、眼、鼻、口、と、ここまでイメージして、「そうだ」と思った。仏が姿を現す、つまり、出現することが肝心なのだ。中世の人々が「山越の阿弥陀図」や「来迎図」で何を描いたのか解ったような気がした。想像や願望ではなくて、仏と出会うこと、仏が出現する様子を描いたのだ。もう少し厳密にいうと、仏が出現した瞬間の、今まさに目の前に現れている現在進行形の感激を描いたのではないか。そうだ、闇の空間から仏が立体的に、浮かび上がってくる様子を、現実に体験出来れば、中世の人達の感動に近づけるのではないかと思った。そして、独自な立体撮影技法と映写技法を考え出した。
(『感性のバケモノになりたい』より一部抜粋)

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