僕はひとまずハワイへ行ってみようと思った。とにかく現地へ行って移民の人たちに会い、彼等から直接話を聞こうと考えた。だから《蘭の舟》の最初の動機は、「写真で何が表現できるか」のモンダイよりも、「移民の歴史」に興味を抱いて取材に行ったのである。後から思えば、写真について考えることをしばらく休止したかったのだろう。

一九七五年から始まり、以後一九八〇年の最後の撮影行までに、何回くらいハワイへ行ったのか正確な回数は憶えていない(十七~十八回だったと思う)。精神的な疲労感を自覚していたにも関わらず、ハワイに行くたびに撮ることに夢中になっていった。

取材の初めの頃は、移民の歴史を知るために文献をあたり、訪ねて行った先で古い写真を出してもらい模写したりした。それが、ある出来事をきっかけにして、移民の歴史を調べていたのでは駄目だ。移民一人一人に歴史があるのだ。彼等に会ってシッカリ写真を撮らなければならないと思うようになった。その「ある出来事」とは一人の老人の死だった。(『感性のバケモノになりたい』より一部抜粋)

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